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Dr.タウチのMM通信


【第4回】ボクがMMに出会った日

ハンター諸君、またお会いしましたね!
いまは2014年。けんど、時計をグルグルグルっと巻き戻して、今回は1989年の話をしましょう!

1989年──平成元年の春に、ボクは株式会社データイーストに入社しました。動機はもちろんゲーム、それも家庭用ゲーム機でRPGが作りたかったからですが、すぐに希望が叶えられたわけではありません。最初に配属されたのは、とあるメーカーの「電子手帳」向けのソフトを開発する部署だったのです。

ゲーム機ですらない……!

会社というのはそういうもんだ、というのはわかっていても、やはり残念でなりません。そんなある日、たまたま通りかかった課長の机の上に、一冊のゲームの企画書が置かれているのを目にしました。表紙には『METALMAX』という聞き慣れないタイトル。

課長が席を外しているのをいいことに、ボクは無断でそれを読んでしまいました(もう時効やき、許して!)。その企画書の内容は、心躍るものでした。戦車で冒険するRPG……。それも、戦車がただの移動手段ではなく、乗ったままで戦える。おまけに改造まで出来るだなんて、まさしく男の心を鷲掴みにする面白さ! とてもワクワクしました。

夢中になって読んでいるところに、課長が戻ってきました。これはマズい! 怒られるのを覚悟しましたが、課長は「どう、面白い?」と優しく尋ねます。
ボクは興奮して「はい、面白いです! 自分にやらせてください!」というようなことを言ったのを覚えています。
課長は笑って、「考えておくよ」とかなんとか言ってましたね。

それから少しして、電子手帳のプロジェクトが中止になりました。そして、課長から呼び出されたボクは、『MM』の担当につくよう言い渡されました。このときの喜びは、いまでも忘れられんよぉ!!

それから、数日経った頃でしょうか。ボクはもうひとつの“MM”と出会います。『MM』の発案者であり、ゲームデザイナーでもある宮岡寛氏と、プロデューサーを担当してくれた桝田省治氏です。偶然にも、二人とも苗字のイニシャルが“M”だったのです。

ボクは『ドラゴンクエスト』をプレイして、ゲーム業界で働く決意をしたような人間です。その『ドラクエ』の1作目から3作目までの開発に携わっていた宮岡さんと、『天外魔境』のプロデューサーである桝田さんと一緒に仕事をすることになったんですよ! もちろん嬉しいに決まってますが、その一方で、お二人の前に出ると緊張のあまりガッチガチになったもんです。

いや~、月日の経つのは早いというか、慣れというのは恐ろしいというか、いまでは宮岡さんのボケに誰よりも早くツッコミが入れられるようになりました。わはは!

ともかく、こうしてボクも開発プロジェクトに参加することになり、紆余曲折を経てようやく完成した『メタルマックス』は、1991年5月24日に発売されました。
その後も数多くのゲーム開発に参加してきましたが、この『MM』の第1作目は、やはりボクにとって特別な作品です。処女作であると同時に、代表作でもあると思うのです。

さて、ここからは『MM』シリーズの年表と共に当時の裏話を語っていきましょうか。


■『メタルマックス』(FC)1991年5月24日発売

シリーズにとっても、ボクにとっても、記念すべき第1作目。
実は『MM』は仕様的には完全版とは言えないのです。仕様に合わせて作り始めたものの、容量の制限の関係で、多くのマップが小さく作り直されています。ストーリーも大幅にカットされていますね。たとえば砂漠にあった無人の廃墟。あれはストーリーがカットされたことによって生まれた副産物です。当時は「それもまた味がある」なんて言っていたりしましたが、いつか、完全版としてリメイクしてみたいものです。

(c)1991 CREA-TECH/DATA EAST CORP.
※著作権表記は、発売当時のものです。

■『メタルマックス2』(SFC)1993年3月5日発売

なんとこの発売日、ボクの誕生日と同じなんですよ。こんな偶然もあるんですね。
発売当日は、自分でもショップの店頭へ買いに行きました(当時は、たとえ開発スタッフでも社員にソフトを支給してくれなかったんですよ!)。レジで、ボクのすぐ前に並んでいたお客さんも『MM2』を買ってくれました。嬉しかったなー。
しかし、このときはまさかそれから18年後にリメイクされるなんて考えもしませんでしたね。いや、それよりもこのあとに続くはずの『MM3』の発売が17年後になるだなんて……。
ちなみに、この作品の開発期間は1年。シリーズでもっとも開発期間が短く、もっとも多くの本数が出た作品でもあります。

(c)1993 CREA-TECH/DATA EAST CORP.
※著作権表記は、発売当時のものです。

■『メタルマックス リターンズ』(SFC)1995年9月29日発売

ファミコンからスーパーファミコン時代に移ったということで、1作目がSFC用にリメイクされました。この作品の開発にはボクは関わっていません。
最初は「1年ぐらいでササッと作ってしまえ~」といった小規模なプロジェクトとして開発が始まったそうです。しかし、実際には3年近くかかってるんですね。だったら新作として作ればよかったのに……なんて思いましたね。

(c)1995 CREA-TECH/DATA EAST CORP.
※著作権表記は、発売当時のものです。

■『メタルマックス 3』(PS)未発売

実はプレイステーション版として『MM3』の企画もありました。Wikipediaには“HEART OF GOLD”というサブタイトルつきで書かれていますが、それは間違いです。“HEART OF GOLD”は、あとで述べるドリームキャスト版『メタルマックス ワイルドアイズ』が、“ワイルドアイズ”になる前のサブタイトルなのです。
このPS版『MM3』の企画には、『MM4』に登場したアホジョージ(当時は「アホ空母」と呼んでいた)や、『MM3』の摩天楼アイランズ、『ワイルドアイズ』の最初の町クアトロピークスの原案となったものなど、いろいろなアイデアが詰まっていました。
この企画が商品化までこぎつけていたら、『MM』の歴史はいまとは違うものになっていたでしょう。


■『メタルマックス ワイルドアイズ』(DC)未発売

いまでは伝説となってしまったタイトルですね。ドリームキャスト用のゲームとして制作していたものです。

アスキーがデータイーストから『MM』の版権を借り受けて開発がスタートしました。このとき、版権を貸りるためには「ナンバリングタイトルでないこと」という条件があったので、サブタイトルを付けることになりました。それが“HEART OF GOLD”です。それがなぜ“ワイルドアイズ”に変わったのか?

それは、メインストーリーが変わってしまったからなのです。

“HEART OF GOLD”は、破滅した近未来世界を舞台にした、壮大なラブストーリーでした。しかし、開発を担当する部署から「このボリュームでは作れない」と言われました。どうしてもと言うならグラフィックを半分近く絞り込むこと、フィールドマップだけでも2/3に縮小すること、という厳しい通達……。そんな状況では、計画していたストーリーを描くことは出来ません。
そこでゼロから作り直しになりました。それに付随してサブタイトルも変わってきます。“オーバードライブ”という案も出ましたが、これは商標が取得できませんでした。そして最終的に決まったのが“ワイルドアイズ”だったというわけです。
しかし、こんなごく身内の関係者しか知らないサブタイトルが、なぜ外部に漏れたんでしょうねー。

『ワイルドアイズ』のために考えたアイデアは、後の『MM3』以降の作品で活かされています。オカマンタやメガマウスといった雑魚モンスターや、アイテム類の多くもそうですし、ATMデビルなんかは『ワイルドアイズ』で最初に入手するクルマのバギーに積まれていたものです。カミカゼクイーンも、元々は『ワイルドアイズ』用にデザインされていたものでした。
そうそう、『MM2R』の「美人すぎるハイテク海女」のサキの元ネタも『ワイルドアイズ』でしたっけ。


■『メタルマックス3』(DS)2010年7月29日発売

『MM2』の発売から17年。ニンテンドーDS用のソフトとして、ついに、やっと『MM3』が発売されました。いやあ、いろいろなことがあった17年でした。正直、もう『MM』シリーズは終わったと思っていました。
トークショーなどで何度か話したことですが、知らない方のために『MM』復活の経緯をここに書いておきましょう。

ボクは、データイーストを辞めたあと宮岡さんの会社であるクレアテックに移り、しばらくして退社。その後、数ヶ月の契約社員期間を経て、ケイブというゲーム会社の正社員になります。そのとき、勤務先が変わったことの挨拶を兼ねて、エンターブレインで新規ゲームの開発に携わっていた久保さん(現在の『MM』シリーズのプロデューサー)と食事をしまして、そこで『MM』の話が出ました。ただ、ボクは酒の席での与太話ぐらいに思っていたんですが、なんと、久保さんは本気で考えてくれていました。

発売元だったデータイーストが倒産したあと、『MM』にはタイトルの版権問題があり、どこのメーカーに話を持っていっても、そのことが壁になって話が頓挫してしまうのです。
最初はケイブで開発する道を模索していたのですが、会社の諸事情であったり、ボク自身がコンシューマ部門からモバイル部門へ異動になったりして、やはりうまくいきませんでした。

それでも、久保さんは『MM』のことを前向きに考えてくれていました。その甲斐あって、版権の問題に解決の目処がつき、エンターブレインでなら『MM』が作れるという現実が見えてきます。
しかし、ケイブにいたままではそれは難しくなるだろうと判断し、ボクはケイブを退社してフリーランスになります。それから半年。無事にエンターブレイン社内での承認も得られ、本格的に開発がスタートしたのです。

これまで二度、三度、四度と苦汁を舐めてきました(ごっついニガかったぜよ……)。そんなこともあったので、『MM』はなんとしても復活させる! その想いだけで完成させました。
結果として、プレイヤーの皆さんには不便をかける面もあったかと思います。けれど、このときはとにかく完成させて皆さんの元に届けることが一番なのだと信じていました。この17年が、それを教えてくれたのです。

(c)2010 KADOKAWA / CREA-TECH

■『メタルマックス2:リローデッド』(DS)
  2011年12月8日発売

『MM2R』は、完全移植でありながら新作同然に近いものを目指して開発しました。
完全移植で気をつかったのは、当時のメッセージやイベントはそのまま再現すること。そして。オリジナルの『MM2』を遊んだことのあるプレイヤーにも新鮮さを感じてもらえるように、新しいイベントや、新しいマップはもちろん、戦闘などのギミックにも工夫を凝らしています。
システム面も、『MM3』のものをそのまま流用するのではなく、サブジョブやエンジンの特性追加など、新規要素をふんだんに採り入れました。

開発陣の尽力もあり、理想に近いリメイク作品に仕上がったと思います。当時、2Dで描画しているRPGとしては、最高峰のものが出来ただろうと自負しています。

(c)2011 KADOKAWA / CREA-TECH


■『メタルマックス4 月光のディーヴァ』(3DS)
  2013年11月7日発売

完全3D化、アニメーション導入、ボイス導入、ダウンロードコンテンツの導入など、これまでになく新しいことに挑戦した作品になりました。システム面でも、長距離戦やバトルメンバーシステム、ゲストキャラ、スキルブーストシステムなどなど、多くのことにチャレンジしています。

とくにボクが推したいのは、完全3D化です。そのなかでも、マップ上でクルマを3D描画することは、ゲーム的にいろいろな可能性を広げました。そのあたりのことは、このコラムの第1回「斜め上の話」でも書きましたね。

(c)2013 KADOKAWA / CREA-TECH


いや~、今回も長々と書いてきました。最後にひとつ裏話をしましょう。

ゲーム開発というものは、当初の予定通りに作品が完成することはまずありません。『MM1』も『MM2』も『MM3』もそうであったように、『MM4』もそうなのです。諸事情でマップやモンスターが削除されるということはよくありますが、『MM4』でその対象となったのがリモコン反太郎が操縦するロボットたち。

当初は、リモコンシュタインの色替えモンスターではなく、それぞれ別のデザインが用意されていたんです。でも、事情があって同じデザインのキャラを色替えで出していくことになった。では、用意しておいた別のデザインは没になったのかというと……実は多くのハンターさんは目撃しているはずなのです。

それは……ジャンゴ・ヒルズにいる「ジャンゴリラ」と、ダウンロードコンテンツ用の「超重機ワイバーン」です!

ゲーム開発を進めていると、いろいろな問題が生じます。それゆえに、予定通りにいかないことが多々あります。それでも、ゲームのボリュームやゲーム性が変わってしまわないように工夫しています。そうした工夫と努力の上に、『MM』シリーズは成り立っているのです。

ほんなら、ここでいつもの合い言葉。

「メタルマックスは、絶対オモシロイ……ぜよ!!!」

■今回の土佐弁

いごっそう……快男児、酒豪、頑固で気骨のある男などを意味する
けんど……けれども、だけど
~やき……~だから
ごっつい……ものすごく
ほんなら……それでは
~ぜよ……~だよ、~ですよ
[METAL MAX][メタルマックス]は、株式会社KADOKAWAの登録商標です。
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